七転八倒堂

「イーギ、リスー、あっそびましょー」
軽いふわふわしたイントネーションで発声しながら、緑に囲まれた一軒家の、その執務室の扉を開いた。
「あ？フランスか。」
いつ見ても重苦しいというか、重厚な家具に占められた部屋の中に、まるで彼自身もその調度品の一つであるかのようなイギリスは、顔を上げてパチリと瞬きをし、次いでフランスの名前を呼んだ。
（お。いけそう？）
珍しく眉間に皺が寄っていないが、しかし油断は出来ない。
フランスが勝手に侵入して仕事中のイギリスの邪魔をしに来たんだと気付いた瞬間、渋面を作って可愛くない言葉を吐くに違いないのだから。まあ一応、呼び鈴は押したし、扉を潜る時には声もかけた。ついでに執務室に入る前だってノックはしたので、こちらに非は無いと思う。
しかし、実に毎回面白いほど同じセリフをお互い繰り返して来た可愛くない口は、珍しく、本当に珍しく、いつもと違う言葉を紡いだ。

「あ、俺、もうお前と寝ないから」

【幸せの定義】

「うわああああああ、酷い！酷い！！ちょっともー坊っちゃんったら酷くない？！酷いと思わない？！」
「あー、せやねー。やからもう勘弁してやー」
家でロマーノ待っとるんよ。
「この裏切り者おおおおおおおお！！！」
タン！とフランスがスペイン産のワインが入ったグラスをカウンターに叩きつける。
『だから帰れ』とつれなく振られたフランスはイギリスからスペインへと直行して彼を呼び付けると猛スピードでボトルを開けている。マスターがその都度片づけてくれるので、カウンターの上にはフランスが握っているボトルが一本しか無いが、スペインがうんざりとした顔をするくらいにはしこたま呑んだくれた後である。
それ故、頭の中がふわふわしてぐるぐるするが、愚痴はフランスが考えるまでもなく唇から溢れてきた。
だって、今までよろしくやっていた彼女に振られたばっかりだったのだ。振られたり蹴られたりとはこの事だとフランスは思う。
「いや、踏まれたり蹴られたりとちゃう？」
「違うの！振られたり蹴られたりなの！！アイツ、彼女にフられて傷心の俺の事、最後蹴りだしたのよ？！信じられる？！」
「あー。…ちゅうかお前おねえみたいな喋り方になっとんで」
「何も蹴りだすことないじゃない」
「聞いとる？」
「イギリスのばかあああああ！」
「いや、それイギリスの専売特許やし。……………はぁ……」
まるでイギリスが乗り移ったかのように酒に酔ってバカバカと連発するフランスを尻目にスペインは溜息を吐く。
何もうこいつ、早よ潰れてくれへんかな。そしたら置いて帰れるのに…と、わりかし酷い事を考えながら、しかし放置しているとガクガクと揺さぶられたりして迷惑なので口を開く。とりあえず会話していればフランスは管を巻きながら酒を煽るだけだ。
「せやけどお前、別にイギリスと付き合っとるわけやないんやろ？何で別れた彼女の事よりイギリスの愚痴んが多いん？断られたかてそない落ち込むようなことやあらへんやろ」
フランスとイギリスと付き合っていたら、そもそも彼女が出来る理屈がないのだが、傷心を慰めるてっとり早い相手として利害が一致していた（らしい）相手の所に行くのは納得できないではない。
しかし、そこそこよろしくしていた彼女に振られたのと、利害の一致していた隣国に振られたのと、どうして愚痴の比率が隣国の方が多いのか、その辺が謎である。スペインもどうせ愚痴を聞かねばならないのならば、可愛らしい女の子の話の方がよっぽどマシだ。気に食わない眉毛の話なぞ聞きたくもない。
シェリー酒を口にチビチビやりながらそう問うと、フランスはカウンターにうつ伏せた顔をひょいと上げてきょとんとした顔で頭を傾げた。
「え？だって今まで断れたことないし」
「…ええー」
「いや、そりゃいつも『アポイントメントも無しに何しにしやがったこの髭！仕事の邪魔すんな！ドーヴァー沈め！』とか言われるけど」
「めっちゃ断られとるやんか」
そしてそれが正しいイギリスの姿のような気がする。というか、フランスの愚痴を聞く限り、いくら友達いないとか利害が一致するからと言って振られたフランスを慰める為に寝るイギリスとか全く想像が出来ない所である。色々と「それホンマなん？」と突っ込みたくて堪らない。
しかし、フランスは「いやいや」と素面のような表情で首を横に振る。
「あれは坊っちゃんのツンデレのツンなのよ。一応断っておかないと自分に申し開きが出来ない心境？その後いつも『せめて俺の仕事が終わるまで邪魔すんな。お前はメシでも作っとけ。言っとくけど、お前の為じゃないんだからな！俺の為なんだからな！』ってゆーもん」
「へーそうなん…」
鈍い鈍いといわれるスペインでもイギリスのダダ漏れ具合は理解できる。俺の為ってなんだ。俺のためって。
「…ちゅうか、お前『いつも』ってそないにしょっちゅうイギリスのところ行っとるん？」
もしかして振られた当人ではあるが、彼女置き去りにして？と、思いながらフランスを見遣る。この男は来る者は拒まないが、去る者も追わない。深入りもさせない。長すぎる付き合いのあるスペインにでさえ、ある一定ラインからは踏み込ませない非情な顔を持っている。もちろん国であるからには、スペインとてそういう面も持ってはいる。けれども国としての公の精神と、個人としての感情のからくりとは別の話だ。途方もなく長い月日の毎日を一分の私情も交えずに生きていくなんてできっこない。
国として生まれて来て、その重責によるストレスの逃がし方は国それぞれ違っているが、フランスは主に色ごとに求めているように見えていた。遊べる相手をとっかえひっかえしていて、深入りされそうになったらフらせるように誘導していたのは知っていたが。
スペインの視線を受けてフランスはこくりと頷いた。
「うん。毎回」
「毎回？」
「フられたその日に行ってるよ。失恋の最大の薬は新しい恋だろ？３ケ月に一回くらい？」
ぶっほ！
思いっきり噴き出したスペインに「なにやってんだよー」と酒に間延びた声を出しながらフランスがお絞りでカウンターを拭いている。
「いやいやいやいや、お前のせいやから！ちゅーかお前なにやっとんねん！！」
「何って…ナニ？」
「『ナニ？』やあらへんわ！どーゆーこっちゃ！彼女にフられたら即イギリスんとこやて？！愚痴りに行くっちゅーならまだ分からんでもないけどな、お前、ナニって！わけわからんわ！」
「えー？手っ取り早く体で慰めてってゆー」
「意味わからん！マジ意味わからん！！」
「だってアイツ上手いし。そもそも昔からお互いフリーで都合のいい時はヤってたし。ヤってる最中だけはやさしーっていうか可愛いからなー。インパクトあって頭ん中吹っ飛ぶってゆーか。でってゆー」
「…でってゆー、やないわぁ…ちゅーか、物凄く、…セフレ、やんなぁ…」
何て爛れた関係なんだろう。
「ああ！おにーさん超悲しい！！こうなったらロマーノ頂戴！ロマーノ！」
「誰がやんねん！ボケ！！」
「酷い！」
「酷ぉない！もー、勘弁してや。お前ら二人揃ってドーヴァーに沈んでくれへん？」
「だからぁ！！一緒に沈んでくれないんだってば！！」
「ああー…」
もうやだ。早く家に帰りたい。ロマーノに会いたい。
しかし、無理やり帰ろうとしてもフランスを引きずる羽目になるだろう。それはいただけない。
スペインは盛大な溜息をつきながら気分を入れ替えるとフランスのグラスにワインを注いだ。
「まあ、世界のお色気担当やてそういう気分や無い時くらいあるんやない？あ、それか恋人がおるとか？」
お前さっきお互いフリーの時は、ってゆうとったやん。
そう続ければ、フランスがガクりと肩を落として重そうな溜息をついた。
「まぁ、あながち間違ってはない」
「なんや。そんなら今までもあった事やろ。なして今回はこないに迷惑かけるん」
「…なんか好きな人が出来たんだって」
「…」
『迷惑かける』の部分は明らかにスルーされたが、酔っ払い相手だ、許してやろう。
「…？せやから、同じやろ？」
「ちがうって。恋人がいる事はあっても恋はしてねーっつーか。俺ら国だし、一般人とは同じ時間生きられねーわけじゃん？それにアイツ元々人間関係ドライだろ？利害の一致した仮初の時間を楽しめる相手としか付きあわねーの」
それが今回は好きな人だって。
そう言ってフランスが溜息をついた。それはそんなに落ち込むような事だろうかとスペインは思う。
「初恋だから大切にしたいんだって。今まで散々エロい事してきてそれはねーだろ」
「まあ、その辺は同意やんなぁ。せやかて何でフランスが落ち込むん」
「だから、イギリスが初恋大切にしたいから、もう俺とはしないんだって」
「…やから、同じ事やろ」
「なにが」
「恋人がいるからせぇへんっちゅーのと何が違うん」
「違うだろ。今までは待ってたら俺の所に帰ってきてたもん」
ガション！
「ちょっ！さっきから何やってんの！」
「『何』はお前やろーが！おまっ、自分が何ゆっとんのか、分かってへんやろ！」
落としたグラスをそのままにスペインが叫ぶとフランスが「分かってるってば！」と叫び返す。絶対分かってないとスペインは思う。
フランスの言っている事は、イギリスが自分のものだと思っている、という事だ。
スペインはフランスが次々と彼女を変えていることを知っているが、それは彼の浮ついた博愛主義の、引いては気晴らしの一環でそれ以上でもそれ以下でもないと思っていた。
（…まあ、あながち間違ってはないんやろうけど…）
綺麗な花があれば戯れるのがフランスの習性で、それ故長続きしないしないもの、と思っていたのだが、本気にならん理由にこんな爆弾があったとは。
（優先順位が決まっとるやんか。なんやろか…倦怠期の熟年夫婦みたいなノリやんなぁ…？）
スペインが虚空のかなたに視線をやりながらバカらしくてヘラりと笑っている間に、フランスが「もー」といいながらグラスの後始末をしてくれていたらしい。目の前のグラスには新しいシェリー酒がなみなみと注がれている。

続く≫

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